昭利の一本道 [1] 序章 わが太鼓人生に悔いなし!

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 この世に生を受けて75年、家業である太鼓づくりの道に分け入って55年。この人生を一度きちんと振り返ることが、私のこれからの生き方に必要なことだと思った。

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 75年の間、と言っても、ものごころついてからの記憶に限られるが、数えきれない多くの人に出会った。その中には「太鼓の名手」といわれた人もあまたおり、今で言う「名手」とはひと味違った、聴き手の心にしみ入るような音色と技(バチ捌き)が耳と目に残っている。これからの太鼓文化を成熟させていくには、そうした名手の打つ太鼓について、私の知っている限りの情報をこの連載を読んでくださる方に伝えたい。また、1990年代からは太鼓イベントにも関わるようになり、それまで接点のなかった多くの文化人の知己を得た。写真家の稲越功一氏、照明デザイナーの藤本晴美氏、舞踏家の麿赤兒氏、ファッションデザイナーの山本寛斎氏、詩人の大岡信氏・・・数え挙げればきりがない。それぞれの道の頂点にいるそれらの人々の感性が、今の私を作ってきた。私が太鼓づくりのうえでよりどころにしてきた観音さま、すなわち「音」を「観る」仏さまに朝夕手を合わせるのが日課だが、近ごろは観音さまに参るたび、そうした数知れぬ出会いの有り難みをあらためて感じている。歳をとったということか。

 私の人生の原動力の一つだったのは、皮に携わる職業の人なら絶えず心のどこかにわだかまる「同和」の問題だった。世間の人々から、社会から、「まっとうな仕事」と認められるには、同和の概念から脱却しなければ。その一心で、世界に誇れる太鼓づくりに没頭した。「田舎の小さな太鼓屋に甘んじていたくない」「銀行の融資も受けられない貧乏から脱却したい」「浅野太鼓を有名にしたい」「どこからも後ろ指をさされない優良企業にしたい」。そうした思いで、ただただ太鼓づくりの一本道を走り続けてきた。そして確かに、自分なりの形を残したと自負している。

 西のぼる先生に指導を仰ぎ、日本で唯一の太鼓専門情報誌を出版、太鼓コンサートのプロデュースは海外にも及ぶ。女性だけの太鼓チーム「焱太鼓」は立ち上げから34年、メンバーチェンジしながら今も活躍している。まさに「わが太鼓人生悔いなし!」だ。

 ただ、政治力も駆け引きの才もなく、世辞や追従が苦手、気の利いたセリフ一つ言えないつきあい下手ゆえ、ご厚意をいただきながら不義理を重ねたことも多いと思う。そんな皆さまには、大変勝手ながら、この連載の場を借りて深くお詫びを申し上げます。