昭利の一本道 [6] 太鼓ブームの黎明期

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 昭和40年3月、小松実業高等学校を卒業。家業の太鼓づくりはすでに二歳上の兄が手伝っており、月に二つも売れれば「御の字」の作業場にこれ以上人手は要らなかった。さて、自分はどうしよう。あれこれ思案し、社会勉強を兼ねて繊維関係の会社に就職。当時の石川県は、のちに『繊維王国』として全国にその名をとどろかす繊維産業の成長期で、織元や撚糸など繊維関係の会社はどこも好景気だった。幸い実業高校で多少なりとも機械にふれていたこともあり、すんなり仕事になじむことができた。それからの3年間が、私の人生の中で唯一「他人の飯を食った」時代だった。この期間の経験や職場で感じたさまざまな矛盾などが、やがて自分が経営する側に立った時に大いに役立った。貴重な体験だった。

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  (写真左:部落に数件あった太鼓屋さんの中橋さんが作った太鼓)

 この年、2年前の東京オリンピックを自宅で観覧するためほとんどの家庭に普及していたテレビで、NHKから『ふる里の歌まつり』という番組がスタート。弁舌爽やかな宮田輝 司会で、全国各地に出向き、各地に古くから伝わる郷土芸能や年中行事を中心に、ふるさと民謡や風俗、習慣、時々の話題を織り込みながら、地元出演者とゲストが歌や芸能を繰り広げるという内容で、長野の『御諏訪太鼓』や東京の『助六太鼓』、福岡の『小倉祇園太鼓』、そして石川の『御陣乗太鼓』などが相次いで出演。そんな中で一番記憶に残っているのが「鹿児島の棒踊り」でした。今でも是非呼んでみたい芸能でした。また福岡の『嚢祖太鼓』が文化庁の芸術祭にかかわる催しに出演したとのニュースも流れ、そんな影響もあってか全国的に徐々に太鼓人気が高まった。おかげで我が家も少しずつ注文が増え、22歳で会社勤めをやめて家業に入った。皮なめしにはじまり、革の仮張り、本張りなど、父の厳しい指導のもとにひと通りの技術をたたき込まれ、手空きの時間には加賀温泉郷の旅館へ御用聞きに。世はまさに高度経済成長期のまっただ中。加賀の各旅館には連日、全国から大型バスで遊興客が訪れた。その客をもてなす「お迎え太鼓」や宴会での「お座敷太鼓」、果ては温泉街のストリップ劇場でストリップと太鼓が共演する趣向まで現れ、どこの宿でも太鼓を欲しがった。有り難いブームだった。こうした温泉太鼓は、やがて加賀温泉から北陸一帯へ、そして全国の温泉地に広がり、やがて日本の太鼓文化の基礎をなして行った。今も太鼓演奏を呼び物の一つにしている旅館もある。