昭利の一本道 [10] ブビンガと工場の機械化

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 太鼓の胴はケヤキを最上の材とする。材質が重硬で堅牢、そして優美な木目模様を持つからだ。重い材質は軽い材質より音を多く跳ね返す性質を持っている。太鼓はバチで革を打たれると同時に胴内の空気が振動し、音の発生源(バチで革を打った音)に共鳴する。振動した空気は、壁、つまり胴に跳ね返って反響するが、この時、壁が硬いほど音は跳ね返りを多く繰り返して反響する時間が長くなり、いわゆる「残響」を生じる。また堅牢さは木質の粘りとなって革を留める鋲を強い力でつかみ、強烈な打撃に対して耐久力を発揮する。そして美しく気品のある木目は、まさに木材の王様たるや、舞台の上でどっしりした存在感を放つ。それゆえ、ケヤキ製の太鼓は人気が高く、昭和52、53年ごろからは口径5尺(約1.5m)や6尺(約1.8m)の大太鼓もケヤキ製を望む注文が増えた。

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 そうした日々、毎朝午前7時きっかり、きれいに髪を整え、きちんとした身なりで高級車のクラウンに乗って工場の前を通る人物がいた。近くに倉庫のある川吉木材の社長だった。毎朝の定例行事なので、いつしか言葉を交わす仲となり、話は自然に木材のことに。本来、家具材や建築用材として需要の高いケヤキが、太鼓の材料としても最良なこと。そのケヤキが、とくに幹の直径1mを越す大径木が近ごろ品薄になってきたことなど、ついついボヤいた。本当に、たわいのない愚痴のつもりだった。ところが、社長からこともなげに返ってきた言葉にびっくり。「それなら、ケヤキに材質が酷似したブビンガを使えばいい」と。ブビンガ! 初めて聞く木の名だった。アフリカ産のマメ科の高木。直径3m、樹高は30m以上にもなり、材質は重硬。耐摩耗性と強度が高く、ワインレッド系の深い色調と美しい木目が特徴とのこと。まさに求めている木材にドンピシャではないか! それでも半信半疑の私に「近々、大阪南港に荷揚げする木がある。

見に行くか」と社長。二つ返事で対面した巨木は、樹齢600年近く。まさに「神が宿る」と形容したくなるほどの堂々とした姿を岸壁に横たえていた。

 これがブビンガとの出会い。はじめは予想以上の重さと硬さで扱いに手こずることもあったが、いくつか太鼓をつくるうちにコツを会得。以後、浅野太鼓になくてはならない原木となった。今ではブビンガの存在は広く一般に知られ、その強靱さと堅牢さゆえに祭礼で巡行する山車の車輪などにも用いられているようだ。まったく川吉社長に感謝、感謝だ。

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 同時に、大太鼓製造工程の動力化を進めたのも53年。10年ほど前から胴の中ぐり(輪切りにした原木の内部を刳りぬき、太鼓の胴の形を整える作業)に動力を導入していたものの、機械にかかるのはせいぜい口径2尺5寸(約75cm)程度の中太鼓まで。それ以上の大きな太鼓の中ぐりはすべて手作業。職人二人が毎日チョンナで削り、3カ月かけてようやく胴の形をつくっていた。これでは受注に対応できるわけもなく、太鼓づくりの省力化という日本で初めての技術開拓に着手。まったく手さぐりではあったが、幸い石川は輪島塗や山中漆器など木工芸が盛んで、木を削る機械においては多くの n技術を有していた。それらの機械メーカーによびかけて工夫を重ね、ついに大型の旋盤加工機を開発。どんな大きな太鼓の注文にも対応できるようになった。こうして、ブビンガと胴の中ぐり機のおかげで、後に浅野太鼓は日本の大太鼓のおよそ7割の生産高を占めることになる。

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 この年4月、有限会社浅野太鼓楽器店を、株式会社浅野太鼓楽器店に組織変更した。従業員は家族を含めても10名足らずだったが、株式会社になったことで企業としてようやく一人前になったと思うと嬉しかった。