昭利の一本道 [14] 御陣乗太鼓のこと

  • 投稿日:
  • by

 前章で父のことを記し、ふと、同じ世代に生きた『御陣乗太鼓』の池田庄作さんを連想したので、ここに紹介する。 

0809.2022.a1.jpg

 北陸は全国的にみても太鼓の盛んな土地柄だ。石川県の御陣乗太鼓や『加賀太鼓』、福井県の『越前権兵衛太鼓』『明神ばやし』などは、広く名が知られている。中でも太鼓ブームに先がけて、いち早く海外公演や映画出演を果たしたのが御陣乗太鼓だ。能登半島の先端、輪島の名舟地区に伝わる御陣乗太鼓は、奇怪な面をつけた打ち手数人が一つの太鼓を囲み、気迫のこもった打ち込みで聴き手を圧倒する。戦国時代、奥能登に攻め入った上杉謙信の軍勢に対し、村人たちが木の皮でつくった面に海草をつけてかぶり、太鼓を打ち鳴らして追い払った伝説に由来するといわれる。

 名舟集落だけに受け継がれてきたその太鼓を、戦後になって世間に知らしめたのが池田さん。多い時には年間400回以上の公演を重ね、海外公演は6カ月以上に及んだ時期もあったと聞く。「ドコドコドコドコ」の地打ちにかぶせ、縁打ちも交えた激しい打ち込みは太鼓の革の消耗が早く、池田さんは革の破れた太鼓を背負ってよく浅野太鼓に駆け込んできた。その胴の最大径は1尺5寸5分(約47cm)。新調する場合も必ず1尺5寸5分と決まっており、ある時、なぜその寸法にこだわるのかと問うと「1尺6寸(約49cm)では列車の乗降口を通れない」とのこと。なるほど。太鼓一つを抱えて仲間とともに列車でどこへでも向かう池田さんの、どうしても譲れない鉄則だった。生前の父はそんな池田さんを嬉しそうに迎え、御陣乗太鼓特有の「カーン」と甲高い音を発するよう、繊維の細かい革を特別に吟味して張力の限界ぎりぎりまで締め上げた。つねに全力で打ち切る池田さんへの、父なりの手助けだった。

 御陣乗太鼓は昭和35年(1960)に保存会を設立。38年、石川県無形文化財指定。池田さんは78歳で現役を引退するまで60年以上にわたって太鼓を打ち続け、平成16年(2004)、太鼓打ちとしては初めて旭日双光章を受章。平成24年に逝去された。今では池田さんの教えをうけた世代が、石川を代表する芸能として御陣乗太鼓をしっかりと継承している。

 御陣乗太鼓は、毎年、7月31日から8月1日にかけて行われる『名舟太祭』で奉納される。昨年はコロナ禍により祭礼が中止されたが、今年は規模を縮小して開催。久し振りに名舟の海にとどろいた太鼓を、池田さんも父もきっと喜んで聞いていたことだろう。