昭利の一本道 [21] 青少年層への太鼓の広がり

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 1999年3月、石川県川北町で第1回日本太鼓ジュニアコンクールが開催された。2年前に『全日本太鼓連盟』を法人化して設立された『財団法人日本太鼓連盟』の主催によるもので、次代を担う子供たちの健全育成およぴ日本太鼓の後継者育成を図るための全国コンクールという位置づけだ。出演団体は全国の県大会で優勝した高校生以下の代表チームで、第1回では全国34のジュニアチームと、保育所の幼児チームや輪島の『御陣乗太鼓保存会』など4団体の特別出演を合わせて38の団体が出演。以後、同コンクールは現在まで毎年おこなわれ、5年に一度は最初の開催県である石川県が会場になっている。

 また同じく1999年、アメリカ・ロスアンゼルスでは97年に続いて『第2回北米太鼓会議』が開催された。ロスアンゼルスの日米会館が主催・運営するもので、4日間の開催期間中に、大きく分けて太鼓ワークショップと、ディスカッション・セッション、そしてコンサートが開催され、アメリカはもとより、カナダ、ドイツ、日本などからも幅広い世代の太鼓愛好者が参加した。北米では1968年に長野県出身の田中誠一氏が『サンフランシスコ太鼓道場』を開いて以来、日系人の間で急速に和太鼓が盛んになり、以後、太鼓会議も現在まで2年ごとに開催されている。

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 一方、この年、国内でも大きな動きがあった。今に言われる『平成の大合併』の始まりだ。合併の目的は、市町村の行財政基盤の強化と行政の効率化であり、政府は合併特例債や合併算定替をはじめとする各種支援策を講じ、以後10年間にわたって総力をあげて合併を推進した。その結果、1999年には全国に3232あった市町村が、2014年4月には1718に凝縮されていた。

 こうした現象は、太鼓界にも少なからぬ影響を与えた。市町村が減少したことにより、自治体主導の太鼓関連イベントが淘汰され、多くの太鼓団体や地域活動が発表の場を失った。それにともない太鼓そのものの普及も鈍化し、拡大の一途だった太鼓文化の裾野に翳りが現れる気配を感じるようになった。そのような危機感に対応するかのように学校教育の指針となる『学習指導要領』において、小・中学校で太鼓などの邦楽器を履修することが義務づけられたり、高校のクラブ活動に太鼓部が奨励されたりして、青少年層に太鼓が浸透する機会が増えた。しかし、それらの成果が現れるのは数年後のことであり、さらに少子化や教育現場における太鼓の指導者不足などの問題も生じている。