昭利の一本道 [3] 北陸の太鼓の黎明期

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 昭和32年(1957)、私は松任市立石川小学校の4年生になった。その2〜3年前から加賀温泉などの温泉地では宿泊客をもてなす余興として、太鼓を打つのが盛んになっていた。父の義雄は太鼓を配達に行くといっては、よく温泉街に向かっていた事を思い出す。

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 太鼓の人気が上向きになっていたことは確かで、太鼓を求めたり、情報を持ち寄ったりしながら、多くの「太鼓打ち」が我が家に出入りするようになっていた。その中には北海道の登別で「北海太鼓」を創設した大場一刀さんや、福井県武生で「太鼓名人」といわれた水野さん、「三つ打ちの名人」玉村武さん、小松の「一人打ちの名人」豆腐屋の山下さん、後に「佐渡の國鬼太鼓座」の代表曲となった「三国の大太鼓」を編曲した下村の爺さんなど、今思えばそうそうたる面面が嬉々とした表情で父を訪ねてきた。そんな状況にともない、「つばめ返し」や「曲打ち」などの太鼓芸もすさまじい勢いで発展し、ついには石川、福井、富山の太鼓打ちが連携して「北陸三県太鼓愛好会」が発足。翌33年には「北陸三県太鼓協会」が設立された。