昭利の一本道 [4] 笠間中学時代

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 このところ、古代中国で武将たちが群雄割拠する吉川英治の「三国志」に親しんでいる。先日第三巻を読んでいる時に「月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧に戻らず」というくだりを見つけ、ふと、遠い昔の苦い思い出がよみがえった。

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(祖父 新太郎作)           (祖父 新太郎) 

 昭和34年(1959)、私は松任市立笠間中学校に入学した。笠間中では毎年秋に恒例のマラソン大会があり、全校生徒が参加することになっていた。マラソンコースは校庭を出て周囲のたんぼ道を一周後、ふたたびグラウンドに戻ってゴールインするというもので、途中のたんぼ道に沿って小川が流れていた。走るのが苦手な私は、なんとかマラソンを免れる方法はないかとあれこれ考え、小川の土手が背丈より高かったことを思い出した。当日、私は級友2人を誘い、他の生徒が走っている道の横、つまり小川の川床を水音をたてながら歩いていた。土手の陰に隠れて。しかし、こんな浅知恵、バレないわけがない。まもなく先生にみつかり、大目玉。あげく「こんな小ずるいことをする奴は、大人になってもろくなもんにならん」と言われた私はカーッと頭に血がのぼり、「大人になったら絶対偉い人になってみせる!」と、大いに先生を恨んだものだった。今思えばすべては我が身の浅はかな考えが招いた結果で、本当に偉い人なら途中で倒れてもちゃんとマラソンコースを走るだろう。後悔してもまさに「月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧に戻らず」だ。

 そのころ、家では父の酒癖の悪さが、家庭を暗くしていた。毎晩大酒を飲んでは些細なことで母をネチネチと責め立て、ある夜ついに我慢ができなかった私は、思いっきり父を玄関まで投げ飛ばした。父に手を出したのは後にも先にもその一度きりだったが、父の体が思いのほかに軽くて他愛なかったことに、なぜか哀れを感じたことを憶えている。

 とにかく、あまり良い思い出がない中学時代だった。