昭利の一本道 [18] 30年前の国民文化祭から生まれ、成長してきた「白山国際太鼓エクスタジア」 

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 1992年10月24日から11月3日までの11日間、石川県の21市町村を会場に、第7回国民文化祭が開催された。44の事業が実施され、全体を象徴するキャッチフレーズは『伝統と創造』。そのフレーズがもっともよく似合うと自負しているのが、ここ松任市(現在の白山市)で行われた太鼓のイベントだった。まさに、伝統と創造のせめぎあい。伝統を受け継いできた土着の太鼓と、自由な発想で常識を打ち破る創作太鼓の競演。それまでの国文でも太鼓に関わる事業はあることはあったが、これほど太鼓に熱い視線が注がれるようになったのは、この第7回の成功があったからこそと思っている。

 その2年前から松任市では実行委員会が組織され、着々と事業計画が進められた。「せっかく石川で国民文化祭が開かれるなら、太鼓という切り口でかかわりたい」と、私も意気込みだけで委員会に手を挙げた。プランはこれから考えればいい。幸い認められた太鼓事業のトップに松任市役所文化課課長の太田さん、事務局長に同じく文化課職員の徳井孝一さん(現松任博物館館長)、そしてプロデューサーには当時のNHKで肩で風切る勢いの敏腕演出家の和田勉さんが就任することが決定。そこに私を加えた4人の「ベストメンバー」は、日々、意見を出し合い、知恵を出し合い、時には脱線もしながら、胸を熱くして目標の11月1日に向かった。イベントの名称は『ふる里の響き太鼓祭り』。主催都市の特権で、全国47都道県から「これぞ」と思うチームを各1団体ずつ選抜。さらに8団体のプロチームを加えた計55組の太鼓団体を招聘し、いよいよ迎えた当日。松任総合体育館に設けた特設ステージでは、人気絶頂のデュオ歌手「ピンクレディ」」のケイちゃんに司会にお願いしていたものの、和田さんがアナウンス用シナリオの制作を忘れていたためケイちゃんが途方に暮れるなどアクシデントは数々あれど、そんな舞台裏はおかまいなしに会場は熱気沸騰。ステージの上では入れ替わり立ち替わりに出演チームが自慢の腕前を披露。その演奏時間は、なんと、のべ10時間にもおよび、熱心な太鼓ファンを根こそぎしびれさせた。今思い出しても、まったく豪快な太鼓の競演だった。

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 といっても、実はフタをあけるまでは、これほどの盛況を招く自信はまったくなかった。だが幸いにも和田さんの斬新な構成と、太田課長の太っ腹な裁量、そして両者の橋渡し役として奔走した徳井さんの機動力のおかげで、予想以上の成功を収めたのだった。それと、思いがけずに手に入った宝物が一つ。徳井さんの「せっかく松任で太鼓のイベントをやるのだから、松任にちなんだ太鼓の曲を作ったらどうだろう」の一言に背中を押され、現代音楽の作曲家、水野修好さんに曲づくりを依頼。書き下ろしていただいたのが地元に伝わる「松任ばやし」を発展させた「新松任ばやし」で、この曲は今も地域の有志によって受け継がれている。

 こうした体験を通じ「太鼓にはこれほど多くの人の心をつき動かす力がある」と、あらためて思い知った。この思いはその場にいた多くの人に共通していたようで、翌年3月、松任市の新たな和太鼓芸能の可能性を探るための研究グループが、徳井さんを中心として活動開始。そして7月、今に続く「白山国際太鼓エクスタジア」の前身「壱刻壱響祭」の第1回目が開催されることになったのだ。

 奇しくも、明2023年、石川県は県として2度目の開催となる第38回国民文化祭の会場となる。その中でここ白山市のシンボル事業とされたのが、第7回での「ふるさとの響き太鼓祭り」から生まれた「白山国際太鼓エクスタジア」とは、誰が予想しただろう。まことに嬉しく有り難い巡り合わせだ。エクスタジアのファンの皆様も含め、これまでご30年にわたって応援してくださった関係各位に心からの感謝をこめて、今回も全力で取り組みます。