2026年7月22日
七百年の時を超えて響く音 №1
― 建長寺の大太鼓との出会い ―

鎌倉・建長寺様より大太鼓の張替えをご依頼いただき、2026年5月26日、お引き取りに伺いました。
目の前に現れたのは、口径四尺四寸、欅を一木から刳り抜いて製作された大太鼓。その堂々たる姿は、長い歴史を静かに物語る風格に満ちていました。
胴の内部には古い墨書が残されていましたが、七百年という歳月の中で墨は薄れ、肉眼では判読が困難な状態でした。
このままでは貴重な歴史が埋もれてしまうと思い、私からお願いし、歴史学をご専門とされる向井先生、本田先生に調査をお願いいたしました。先生方には三度も建長寺へ足を運んでいただき、赤外線カメラによる撮影と解析を重ねてくださいました。
そのご尽力によって、七百年前の文字が鮮やかによみがえり、次の墨書が判読されたのです。
東大寺新座大工 肥前権守宗正造
奉行 願誓
嘉暦元年五月十六日
願主 極楽寺比丘全玄
そこに記されていた製作年月日は、嘉暦元年(1326年)5月16日。
まさに七百年前に製作されたことが明らかになりました。
嘉暦元年は、鎌倉幕府最後の執権・北条守時が政権を担い始めた年であり、幕府滅亡まであと七年という歴史の大きな転換期です。その時代に、このような大きな欅の巨木を刳り抜き、大太鼓を製作できたことは、当時の卓越した木工技術と、禅宗文化を支えた鎌倉幕府の力を物語っているように感じます。
さらに墨書には、「東大寺新座大工 肥前権守宗正造」と記されていました。東大寺に属する工人によって製作されたことを示す貴重な記録であり、製作者、製作年月日、願主までが明確に判明する大型太鼓は極めて稀です。
現時点では全国の文化財との比較調査が必要ですが、この大太鼓は鎌倉時代に製作された現存する大型刳り抜き欅太鼓として、日本最古級の歴史的価値を持つ可能性を秘めています。
これは単なる楽器ではありません。
七百年前の人々の祈り、禅の精神、そして日本最高水準の木工技術を現代へ伝える、生きた歴史遺産です。
半世紀以上にわたり太鼓づくりに携わってきた私ですが、七百年前の工人たちの息遣いをこれほど身近に感じたことはありませんでした。
この歴史的な大太鼓の張替えという大役をお任せいただいたことを、大きな喜びであると同時に、未来へ文化をつなぐ責任として受け止めています。
そして、この貴重なご縁を結んでくださった北村隆先生に、心より深く感謝申し上げます。
また、墨書の解読という困難な作業に三度も足を運び、赤外線撮影によって七百年前の文字を現代によみがえらせてくださった向井裕知先生、解読された本田俊彦先生の熱意とご尽力にも、深い敬意と感謝を申し上げます。
七百年前に響いた音を、未来の七百年へ。
その思いを胸に、一打一打、一本一本の鋲に心を込め、この大太鼓の修復に取り組んでまいります。
2026年7月16日
白山国際太鼓エクスタジア2026「ひとすじの道」を終えて
2026年7月12日、白山市松任文化会館ピーノにおいて、「白山国際太鼓エクスタジア2026 ~ひとすじの道~」を無事開催することができました。
1993年に「壱刻壱響祭」として産声を上げたこの催しは、多くの皆様のお力添えをいただきながら歩みを重ね、今年も全国、そして海外から素晴らしい演奏者をお迎えすることができました。
今年のテーマは「ひとすじの道」。
この言葉には、それぞれの人生の中で、ひたむきに太鼓と向き合い続けてきた人々への敬意を込めました。
太鼓を打ち続ける人。
太鼓を作り続ける人。
地域の芸能を守り続ける人。
そして、長年にわたり太鼓文化を支えてくださる多くの皆様。
一本一本の道が重なり合うことで、日本の太鼓文化は今日まで受け継がれてきました。
舞台では、それぞれの出演者が歩んできた歴史と信念が、一打一打の響きとなって会場を包み込みました。国や地域、世代を超えて集った演奏者たちが心をひとつにした姿は、太鼓が人と人を結び、文化を未来へつなぐ力を持っていることを改めて教えてくれました。
また、多くのお客様の温かい拍手、出演者の情熱、舞台裏で支えてくださったスタッフやボランティアの皆様、そしてご後援・ご協賛いただいた企業・団体の皆様、白山市の行政の皆様のお力が一つとなり、この一日を創り上げることができました。心より感謝申し上げます。
白山国際太鼓エクスタジアは、一日限りの演奏会ではありません。
それは、人から人へ、世代から世代へと文化を受け継ぐ「場」であり、「志」をつなぐ舞台でもあります。
一打一打に心を込め、一歩一歩を積み重ねる。
その歩みは決して華やかな近道ではありません。しかし、その「ひとすじの道」を歩み続ける人がいるからこそ、文化は時代を超えて受け継がれていきます。
白山の地に響いた音が、一人ひとりの心に深く刻まれ、未来へと続く新たな一歩となることを願っています。
これからも白山国際太鼓エクスタジアは、白山の地から日本の太鼓文化の魅力を全国へ、そして世界へ発信し続けます。
皆様の変わらぬご支援、ご厚情に心より感謝申し上げます。




ありがとうございました。
2026年6月27日
ひとすじの道
2026年7月12日(日)、第34回『白山国際太鼓エクスタジア』を開催いたします。今年のテーマは、~「ひとすじの道」~です。
この言葉には、太鼓とともに歩み続けてきた人々への深い敬意と、未来への願いを込めました。太鼓文化は、一人の力で築かれたものではありません。
一つ目は、打芸を究めた職人たちの道です。
太鼓を打つことを生涯の道と定め、一打一打に魂を込めて歩み続けてきた人たちがいます。力強さだけではない。繊細さ、間、呼吸、身体表現、そして心を打つ芸術性。長い年月をかけて磨き上げられた「打芸」は、日本が世界に誇る舞台芸術へと発展しました。その道を切り拓いてきた打芸の職人たちに、心から敬意を表します。
二つ目は、滅びようとしていた伝統太鼓の復活です。
全国各地には、時代の流れとともに消えかけた郷土の太鼓があります。しかし、それを諦めず、地域の誇りとして守り続け、再び命を吹き込んだ人々がいます。太鼓は、その土地の歴史であり、祈りであり、人と人を結ぶ心そのものです。
三つ目は、組太鼓という新しい芸術の極地です。
戦後に誕生した組太鼓は、多くの挑戦者によって進化を重ね、今では日本を代表する舞台芸術へと成長しました。子どもから大人まで、世代を超えて受け継がれるその響きには、技術だけではなく、人の心を一つにする力があります。
そして四つ目は、海を渡った太鼓芸の五十年です。
半世紀前、日本を飛び出した太鼓は、今や世界各地で力強く響いています。それぞれの国の文化と出会い、新たな表現を生み出しながら、日本の太鼓文化は世界の文化へと育ちつつあります。
変わらないものを守ること。
新しいものを創り出すこと。
その二つが調和するとき、文化はさらに豊かになります。
「ひとすじの道」とは、決して平坦な道ではありません。迷い、悩み、それでも信じた道を歩み続けた人だけが見ることのできる景色があります。白山国際太鼓エクスタジアは、その歩みを讃え、未来へつなぐ舞台です。
白山から全国へ。
そして世界へ。
一打一打に込められた、それぞれの「ひとすじの道」を、ぜひ会場で感じていただきたいと思います。
2026年4月27日
「祭音15周年 三宅太鼓&鼓童」の舞台
4月25日、草月ホールにて「祭音15周年 三宅太鼓&鼓童」の舞台を観た。
鼓童との共演でありながら、その舞台は実にシンプルだった。
余計なものを削ぎ落とし、ただ肉体と音、そのすべてをぶつける「打ち込み」。
その潔さが、かえって際立っていた。
近年、太鼓が音楽へと寄り添いすぎている演奏も少なくない。
それはそれで一つの表現ではあるが、この日の舞台は違った。
極め続けてきた者だけが持つ、音の芯、音の魂。
それがまっすぐに伝わってくる。
「これは太鼓だ」
そう自然に思わせる響きだった。

舞台の中央に流れていたのは、津村親子の生きざまだった。
言葉ではなく、型でもなく、ただ打ち続ける姿そのものが語っている。
親から子へ、子からまた次へと受け継がれていくもの。
それは技術だけではない。
太鼓に向き合う覚悟や、日々を積み重ねる生き方そのものが、音となって響いていた。
一打一打に迷いがない。
飾りもない。
だからこそ、その音は深く、まっすぐに届く。
長い年月をかけて培われたものだけが持つ、揺るぎない強さを感じた。
見留さんの35年という歩みもまた、その舞台に静かな重みを添えていたが、それすらも包み込むように、津村親子の時間が舞台全体を貫いていたように思う。
思えば、18年前、、、、、、、
三宅太鼓の音で舞台を創りたい、と和宏さんから相談を受けたことがあった。
あの時に描いていたものが、時を経てここまで昇華されるとは――。
舞台を見つめながら、胸の奥で静かに感慨が広がった。
積み重ねてきた時間は、決して裏切らない。
そのことを、あらためて教えられた一夜だった。
<祝 津村明男さん 奥さん 和宏さん 秀紀さん 春快さん 家族の皆様>
2026年4月 9日
「響きは海を越えて」
先日、ひとつの知らせを受けました。エスターさんが亡くなられたと聞きました。
アメリカから日本に来て、太鼓に出会い、その後、日米をつなぐように歩んでこられた方です。

まだ太鼓が、今のように世界に広がる前のこと。遠くから来て、この音に向き合おうとされたこと、簡単ではなかったはずです。松山で水軍太鼓に触れ、その響きを、自分の中に取り込んでいかれた。その姿に、静かな強さを感じたことを覚えています。
娘も、留学の折から長くお世話になりました。弟さんのお宅に身を寄せ、そこから学校へ通わせていただきました。異国の地での暮らしの中、ただ学ぶというだけでなく、人とのつながりの中で支えられていたのだと思います。その背景に、エスターさんの存在があったこと、いま改めて思い起こされます。
太鼓というのは、不思議なものです。言葉を越えて、人と人とをつないでいく。一つの音が海を越え、こうして人の縁を生んでいく。エスターさんは、そのことを、ご自身の歩みで示してこられた方でした。残された響きは、いまもそれぞれの場所に息づいているように感じます。
長い年月にわたり、本当にありがとうございました。
静かに、手を合わせています。
どうぞ安らかに。
2026年4月 8日
「響きが風になる日」
久しぶりに、こうして書いています。
先月、「2026 いま風が響きになる」と題した教室の発表会を行いました。一年という時間の中で、それぞれが太鼓と向き合い、その積み重ねが、そのまま舞台にあらわれたように思います。講師の先生方の変わらぬご指導の中で、無理なく、けれど確かに、歩みが進んできたことを感じました。
太鼓というのは、不思議なもので、自分が楽しいと感じること、それを見て先生が楽しむこと、そしてその場にいる方が、自然と引き込まれていくこと。
どこかでつながっていくものがあるように思います。
当日は、ご家族やご友人の方々が多く足を運んでくださり、会場には、どこかやわらかな空気が流れていました。
また、スタッフの皆さん、テクニカルの皆さんの支えがあってこそ、この時間が成り立っていることを、あらためて感じております。いつもながら、頭の下がる思いです。
教室を始めて三十数年になります。多くの方が太鼓に触れ、その中で自然と仲間が生まれてきました。2歳の子どもから70代まで。同じ音に向き合うということが、人と人とをつないでいくのだと、あらためて思います。三時間という時間は、過ぎてみればあっという間ですが、その中には、それぞれの時間が、しっかりと刻まれていました。
そして、また次へと向かいます。
7月12日は、恒例の白山国際エクスタジア。前売り券は、5月1日午前10時からの発売となります。
桜の花が咲いているのを見ていたとき、ふと、心に浮かんだことがありました。淡く、どこか切なく、それでいて、あとに残るもの。そういうものを、舞台として残せないか。
太鼓芸として、きちんと向き合い、形にしていきたいと思っています。
大きなことではなく、ただ、響きの中にあるものが、静かに伝われば、それでいい。
春の光が、そのことを教えてくれたように思います。

2025年12月 1日
どうしても胸の奥のざわめきを抑えきれず

どうしても胸の奥のざわめきを抑えきれず、ある朝ふいに思い立って、東京国立博物館で開催中の特別展「運慶祈りの空間―興福寺北円堂」へ向かいました。
以前から運慶に関する書物を読むたびに、心のどこかに小さな棘のような引っかかりが残り続けていました。
「いつか、本物に会わなければならない」。
そんな静かな声が、長い年月を経てようやく私の背をそっと押したのだと思います。
展示室に足を踏み入れると、空気がひときわ澄み、
薄い光の向こうに、千年の時を越えて立ち続ける像たちの気配が漂っていました。
● 最初に出会った弥勒如来坐像
最初に私を迎えてくれたのは、国宝 弥勒如来坐像でした。
薄明かりに静かに浮かぶそのお姿は、
ただ美しいという言葉では到底言い尽くせない、
優雅さと清らかさが重なり合った静謐そのもの。
すべての人を正しく導かんとする慈悲が、
胸の奥にふっと灯りを点すようで、
気がつけば深く合掌を捧げていました。
祈りの静けさとは、このようなものなのかと、
胸がじんわりと熱くなりました。
● 無著・世親―柔らかな人間の光
続いて現れたのが、国宝 無著・世親菩薩立像。
無著の眼差しは遠い悲しみをも受けとめるようで、
世親の佇まいには静かな思索の炎が宿っていました。
その前に立つと、胸の奥に小さな灯りがともるような温かさが広がり、
足が自然と止まってしまいました。 そこには、人が人を思う行為の、
もっとも根源的な優しさが宿っていました。
● 四天王という衝撃
そして最後に迎えた四天王像。
その瞬間、展示室の空気がさらに引き締まりました。
肉体の迫りくる圧。皮膚の下に潜む血の脈動。
解剖学を極めたレオナルド・ダ・ヴィンチを思わせる精緻な肉圧現。
今にも一歩踏み出してきそうなほどの緊張感と躍動。
まなざし、口元、そして沈黙の背中。
そのすべてに、
怒り、悲しみ、祈り、慈しみ、希望
人間が抱えるすべての感情が宿っていました。
眺めているうちに心の波が静かに引いていき、
やがて深い水底へ沈むように、私は 「無」 の境地へと落ちていきました。
千年の時を越えてなお、像たちの中で燃え続ける魂の熱。
人はここまで心を形にできるのだ。
その真実に触れられたことが、この日の最も大きな恵みでした。
● 太鼓文化との響き
静まり返った展示室を歩きながら、ふと気づきました。
太鼓もまた、木に命を吹き込む芸術なのだと。
響きはすぐに消えてしまう。
けれど、心に刻まれる振動は、時を越えて残る。
その共通する静かな力が、仏像たちの前でそっと胸に寄り添ってきました。
● 興福寺の記憶とブビンガの縁
歩きながら、もう一つの記憶が蘇りました。
2018年、興福寺の再建が完成した際、
日経新聞の文化欄に掲載された記事(アフリカ欅)
柱に使うべき欅の良材がどうしても見つからず、
遠くアフリカ・カメルーンの ブビンガ材を用いたという内容でした。
偶然にも、そのブビンガは私たち太鼓づくりでも馴染みの深い木。
重く、堅牢で、釘をしっかりと“つかみ”、叩けば豊かに響く。
木目は大自然の文様のように美しく、
太鼓づくりの現場でも、何度その力に助けられたことでしょう。
興福寺を支える柱と、人々に響きを届ける太鼓。
形は違えど、木に命を与えるという一点で深くつながっている。
その不思議な縁に思いを巡らせながら展示室を後にしたとき、
胸の奥には静かで深い余韻だけが残っていました。
2025年11月14日
日本列島、秋の芸術真っ盛り
異例の暑さ続きに「もう夏はうんざり!」と愚痴っていた日々からわずか数週間で、急いで暖房機を持ち出す日々がくるとは。まったく自然のやんちゃぶりに振り回されている今日このごろ。そんな中で去る10月19日、金沢の「金沢歌劇座」で「錦秋歌舞伎特別公演2025」が催されました。

歌舞伎公演ということで出演は中村勘九郎さんと、弟の中村七之助さんがをメインでしたが、第一幕「フリートーク」の最初の場面から、お二人と共に和太鼓奏者の上田秀一郎さんが共演。続く第二幕「光の道標」は上田さんのソロ舞台、そして最後の第四幕のコラボレーション「芯」2025で、ふたたび上田さんの太鼓と歌舞伎のコラボレーションという、歌舞伎公演ながら太鼓の出番満載の舞台で、驚くやら嬉しいやら。300余年の歴史ある伝統芸の歌舞伎と、わずか50年ほどの歴史の太鼓が肩を並べて同じ舞台に立たせていただいたことの感慨に思わず胸が熱くなったひと時でした。もちろんここに至るまでには上田さんの努力もさることながら、上田さんの師匠である林英哲さんの薫陶があったことは紛れもない事実ですが、18歳の時から何かと親しくしてきた上田さんの堂々とした演奏ぶりを拝見するにつけ、まるで我がことのように嬉しい公演でした。
その感激の余韻がまだ収まりきらない11月2日、山梨県高校芸術文化祭郷土芸能部門の審査員を依頼され、山梨県の韮崎市へ。全6校の出場校それぞれに修練を重ねた様子が垣間見られ、ことに優勝校は堂々とした演奏ぶり。一方、印象的だったのが、とある支援学校の太鼓部で、どの子もひたすら楽しげに太鼓に向かう様子がとてもほほえましく、ただ純真に楽器に向かう姿に太鼓の原点を見たように思いました。
昨今は全国同じような雰囲気の太鼓チームが多いように感じます。ですが、「狭い日本」ながら、それぞれに特色ある地域性があるはずなので、演奏形態にもそうした特色を取り入れ、個性ある演奏を、見せて、聞かせていただけることを願います。
2025年9月17日
フロリダの石倉さんを偲んで

長年の大切なお客様であり、遠い地で太鼓文化を根づかせてこられた 石倉武政さん が、70歳で旅立たれました。心よりご冥福をお祈りいたします。
四十年ほど前、私は 関東あばれ太鼓 の代表を務めておられたお兄さまのご縁で、弟の石倉さんと出会いました。やがて石倉さんは拠点をアメリカ・フロリダに移し、Matsuriza を立ち上げ数多くの門人を育て、太鼓の音を暮らしの中に根づかせてくださいました。
十六年前、節目の祝賀会にもご参列いただき、その後も幾度となくお会いしました。なかでも忘れがたいのは、2023年9月、日本での手術を終えられた帰路に立ち寄ってくださり、一緒に食卓を囲んで太鼓の未来を熱く語り合った夜です。まさかそれが最後の語らいになるとは、夢にも思いませんでした。
こんなにも早いお別れになるとは……胸に残る言葉が数多くあります。フロリダで育まれた門人のみなさんが、これからも石倉さんの志を受け継ぎ、太鼓の響きを次の世代へつないでくださることでしょう。
私どもの太鼓を愛し、共に歩んでくださったことに、心から感謝申し上げます。
どうか安らかにお休みください。
合掌
2025年7月26日
問答無用
ようやく梅雨が明けた7月20日、白山の地には容赦ない陽射しが照りつけ、まさに本格的な夏の到来を告げる一日となった。そんな猛暑の中、「白山国際太鼓エクスタジア2025」が開催され、国内外から多彩な太鼓奏者たちが集い、熱演を繰り広げた。
開幕を飾ったのは、林英哲と津軽三味線奏者・木乃下真市による《しぶき》。英哲氏のしなやかで力強い打音と、木下氏の鋭く冴えわたる三味線の響きが交差し、一音目から観る者を無言にさせた。“問答無用”――その一打がすでにすべてを語っていた。技巧も理屈も超えて、ただ心が動く。そんな演奏だった。
その後、舞台はさまざまな表情を見せながら熱を帯びていく。尺八の技巧を前面に出した太鼓座(USA)、土地の名を冠した魂のこもった手取亢龍若鮎組、そして凛とした響きが美しかった和太鼓サスケ:風花と続き、それぞれの団体が個性をぶつけながら舞台に渦を巻き起こした。
さらに、体の芯を揺さぶるような焱太鼓の躍動、続く座・壱太郎の洗練された構成と鮮やかなリズムが会場を沸かせ、舞台は最高潮へ。最後は林英哲+英哲風雲の会による、<七星>はまさに圧倒的というほかない迫力のステージ。ひと打ちごとに空気が震え、会場は音の重力に引き込まれていった。

一打一打が空を突き抜け、観る者の胸の奥深くまで響き渡る。舞台はもはや演奏ではなく、“生きた太鼓そのもの”がそこにいた。汗と熱気と感動が入り混じる中、観客はただ身を任せるしかなかった。
そんな舞台の音を、じっと見つめる地元の子どもたちの姿があった。プロたちの放つ音の背中から、彼らは何を感じ、何を受け取っただろうか。いまはまだ言葉にならないかもしれない。けれど、その心のどこかに確かに残った“響き”は、やがて音となり、次の世代の舞台へと受け継がれていくはずだ。
酷暑の白山の空に轟いた、幾千の太鼓の音。それは、理屈ではない。理屈を超えた、命の音だ。だからこそ――
問答無用。




